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我が手と心-認知症 [雑考]


75.gif  認知症に関してボクはイラストレーターとしての仕事以外では公私にわたって関わり合っている。
認知症には誤解を恐れず大雑把に言えばアルツハイマー型と脳血管障害によるものに分かれる。
高齢者になるに従って認知に問題があるかどうかの判定は微妙になる。
家族がいつも見ている父や母の見当識(場所や時間などがわからない)や最近記憶でどうもおかしい素振りが見えたり、料理の味付けが変わったり、服装や趣味が変わったり様々な変化が感じられてくると、それは決して気のせいではない。
注意なんてしなくても、日常を共にするものの変化はすぐに察知できるものだ。
もっとも、顔を合わせても言葉すら交わさないような親子関係が今では『家族』の単位を小さくしてしまっている現実があるようだけど。
僕の母は脳血栓性からはじまり、これと並行してアルツハイマーを発症した。
父は老人性である。
病名としては母が重いが、実は高齢である父の方が現在の認知症判定に広く行われている長谷川式の判定を行うと数値的にはよろしくない。
でも、父には変わらぬ頑固の個性と日々忘れては覚えるくり返しの中で様々な老人性の症状を見せるものの、考えそのものは奇抜な行動に対し自分なりの論理性を持っている。
母は変わった。
無気力であり、老人性の健忘症とは全く異なる脳の異常を思わせる。
計算ドリルや、様々な知育カリキュラムも彼女の気力の衰えと惰性の中で無力化されていった。
それでも純粋に広がる笑顔や時々見せる悪戯っぽい表情に昔の面影を見たりする。
今は対処の仕方もボクやボクの妻にはそれなりの形ができてきたが、以前は認知症の母に日々送りつけられる通信販売の悪意に満ちた行為と徹底的に闘って疲れ果てたものだった。(現在一社と水面下で闘っている。この記事では名前は伏せるけれど、いつかは堂々と戦端を切るかも知れない。)
ボクのもう一つの仕事柄、認知症の高齢者とのつき合いは日々数十人に上るけれど、自分の肉親になるとこれはもう全く違う。
頭では理解していても冷静でいられない。
父の妹を母に持つボクの従兄弟は精神科の医者だが、自分の母となると上手く行かないものだとしみじみ洩らしていた。
薬も呑んでくれず、弟(これも医者)とともにたっぷり1時間以上は正座させられて説教されるそうである。
早期発見。
それは現代医学で早期治療につながるものではまだない。
今、アルツハイマー型認知症のための薬は世界にたったひとつであり、その薬も決して治療薬ではなく、 認知症の進行をできるだけ遅らせる効果しかない。
その意味で早期発見は大切だと思う。
それだけ深刻な症状を発症するまでに時を稼ぐことができれば、老いが緩やかに 認知症を追い越してゆくことができれば、彼や彼女は孫の名前や長く連れ添った伴侶の名前を忘れることなく幸せな生涯を送らせてあげることができる。
アルツハイマーはまだ今のところ不治の病である。
でも、早期発見は彼や彼女の残りの人生に重大な結果をもたらす。
人は生まれた瞬間に死に向かって生き始めるけれど、アルツハイマーはその人にとって『死』すら忘却させる。
ある意味病理的宗教性をもってはいる。
何故、アルツハイマーが不治の病として登場したか。
医学が論理性と実証性で切り崩そうとする先にある配剤は、なんなのか。
ボクは時々父母の寝室の電気を消すとき『忘れてゆく』ことの悲劇と幸福を考えてしまったりする。
そんな個人的な体験は別にして、あなたの父や母に日常に変化を感じたら、それは気のせいではなく、間違いなく、イレギュラーを知覚していると思った方がいいですね。
客観的な判定を行うこと。
認知症 相談には住んでいる市町村の健康福祉課からのパイプを通じて、地域包括支援センター、脳神経科を中心とした医療機関等生活面や医療面での窓口がいくつかあるはずです。
ボクは早期発見が 認知症の進行を可能な限り遅らせることができると信じて医療の方から入ることが今のところベターではないかと思っている一人です。
そして、今のところまだ父や母の住み慣れた家で彼らの暮らしを続けてもらえるだけの実践的な知識と経験が日常を支えています。

勉強することは山ほどあります。僕自身それを忘れてしまう年齢になってきましたけれどね。

 

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次女の実技検査 [雑考]

慌ただしいことです。

昨日は高校入試でボクは普段使わない脳みそから知識と学力のありったけを絞り出した身長142センチの次女の抜け殻を車に収納し、高速で帰宅途中、長女の大学入試推薦の合格の知らせを受けた。
応用生物学は彼女のやりたい分野であったので、何とか1次、2次と長引かずに決まってよかったとホッとした。
2月11日(もう日がない!)には、大学の近くにアパートを借りる準備に人に先んじてまた岐阜にまで妻と長女を送り出す。雪が心配だね。

今日は次女の面接検査と実技検査で、再び高速を通って迎えに行った。
我が家でもっとも無愛想である次女が精一杯の明るさで面接に立ち向かってゆく様は非常に興味を引かれるものであったが、本人曰く、『足がぷるぷる震えて止まらなかった』とのこと。
ちびっこいので椅子に深く腰をかけ、背筋を伸ばすと床に爪先が届かない。
まあ、何とか乗り切ったようだ。
で、90分のデッサンはどうかと言えば、正直この子は兄ほどのデッサン力はない。
兄の通った高校に入りたくて同じ芸術科コースを選んだが、彼女が練習のために描いたデッサンをこの一年間見てきたけれど、溢れるばかりのイマジネーションを紙に載せる技術がないから凄く伸びが遅い。
『今日の実技のテーマは何だったの?』と聞いたら
『何かをしている自分の手』だったそうで、一緒に受検(受験て言わないんだね。)した娘が『じゃんけん』している手を描いた』と言ったのにくらべて、彼女は『赤ちゃんの手を握る自分の手を描いた』といった。
これは、試験官の与えたテーマの核心を突いていると思うのだが、もう少し聞いてみた。
『赤ちゃんの手は描けないんだろ?自分の手ってテーマだから』
彼女は頷いて、赤ちゃんの手を握る手は柔らかくて優しくなければいけない。包むような優しい感じを描きたかったけれど、あんまり集中して夢中で描いていたら真っ黒くなってしまったとのことだった。
優しい感じが出せなかったそうである。
「それがテーマを捉えると言うことなんだよ。
君はそういう『手』を描きたいと思ったところで自分が描こうとしているものに、自分の『赤ちゃんの手』に対する優しさという感性を映し込もうとしている。映し込めたら君はものを描くために必要な技術を学ぶ必要はないわけだ。
有名な画家が未完成みたいに見える絵を描くだろ?自分だったらもっと書き込んで仕上げるのに何でここで止めてるんだとうことあるだろ?それはその絵を描いた画家が自分が映し込みたいって思ったものをもう全て描き込んだからなんだ。観る人はその絵の中に『優しさ』という言葉で浮かぶ最大公約数ではなく、まさにその作家の『優しさの形』を見つけるんだと思うよ。
そう意識した絵だったら、君の題名を見て先生が何とかそれを探そうとするよ。その結果、見つからなくてもその真っ黒い手にはそれを映し込もうとする君の努力がはっきり捉えられるはずだね。パパなら手の形をうまく描いたデッサンとはレベルが違うところで90分を使ったことを評価するけどなあ。」
てな事を半分感心しながら話した。
合格させろよな。
こういう娘は技術を覚えると伸びるぞお。

ガーシュウィンのピアノオリジナル番のララバイをどうぞ。

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2011-Happy New Year ! [雑考]

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75.gif明けましておめでとうございます。75.gif
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
長く続いている円高の影響でドル建の画像ロイヤリティにも厳しいものがありますが、創造力を落とさないように何とか頑張って行きたいものです。今年は立場上遠慮していましたが、ほんの少し、福祉の方にも触れた記事も書こうかなと思っています。
がんばりまっしょい!

 

 


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撮ると採る-沖縄のおまけ [雑考]

11月も末の沖縄で一番の宝物はたった一枚のデジタルデータ。

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その土地にいればホントにいつでも出会える蝶だろうけど、ボクはこの年になってまだ続いている少年時代の身体より先に心が飛びだしてゆくような好奇と熱気がまだ自分の何処かに残っていることに驚いた。

ホントにどこにでも当たり前にいるんだろうね。短い滞在期間でそこここで見かけた。高い梢の遙か上から、地面すれすれに咲くハイビスカスの一輪に何度も姿を現した。
目の前を一瞬横切って、コンマ何秒かでボクの記憶が名前をはじき出し、振り返った時は姿形もなかったと言う蝶も2,3種類見た。小さな羽の先端がコバルトブルーのツマムラサキマダラ。心臓が口から出そうだった。カメラを向け緊張しきってシャッターを押そうとしたとき、まるで捕虫網を向けられたときのように彼は慌てて瞬間移動した。
11月に見た琉球アサギマダラ。止まってはくれなかった。
唯一何度もチャンスをくれたのがこのツマベニチョウだった。
ホントに何度もチャンスはあったのに。景色を撮らず、ありふれたチョウチョに息を詰めてカメラを向けるジジイを昼休みのレストランの店員は怪訝な顔をして眺めていた。
昼食に立ち寄った山の上のホテルの駐車場に職員の出入り口があって、そこに並んで植えられていたハイビスカスに舞い降りたツマベニチョウにひっそりと近づき、捕虫網ならとっくに横に振っている距離を遙かに切ってさらに近づこうとしたとき、ガチャリとドアが開き、大柄なおばさんが登場。
蝶はびっくりして舞い上がった。
『なんでだよ!』少し怒気を含んだボクの方を見たおばさんは、もの凄く親密な笑顔で「こんにちわあ!」と言った。
「…ああ、どうもこんにちわ」とボクは口の中でもごもご言いながら再び舞い降りてきた蝶が2.3本右のハイビスカスに止まったのを確認し、そちらにゆっくり移動し、再びチャンスに息を詰めた。半分押しっぱなしのシャッターを今まさに押そうとしたとき、あろう事か、真正面のドアが開いてそこから二人目のおばさんが登場し、ボクを見て「こんにちわぁ!」と快活に言った。
そこではもうチャンスは来なかったね。

撮るのは採るのより難しい。
最後の日。グラスボート屋さんの駐車場でハイビスカスの八重咲きを撮ろうと花に近づいたとき、突然カメラのレンズの前に彼が飛んできてぴたりと止まった。
これは撮ったのではなく、写ったのです。

ま、こんなもんさね。

 

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沖縄旅行-其の4 [雑考]

那覇から南城市玉城(たまぐすく)の新原(みいばる)へ。
途中一面のサトウキビ畑。

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ところで毒蛇ハブは沖縄本島の家庭の庭や畑どこにでもいる。
もうすぐ繁殖期に入り警戒警報が出始めるのだそうだ。観光客が咬まれて命を落としたことはないそうだが、毎年蛇毒の犠牲になる人はいる。
そのため、県はハブの天敵としてマングースを輸入し、これをハブと闘わせ、この神のように偏在する毒蛇を駆逐しようとした。
最初のうちはよかったのだそうだが、そのうち常勝のマングースはヘビよりも美味しいごちそうが闘わなくても手にはいることに気づいた。
サトウキビである。
雑食性のマングースが狙うのはヤンバルクイナのような稀少動物だけではない。
かくて沖縄はハブとマングースの2つの厄介者を背負い込むことになった。
新原に向かう途中。路上を横切る茶色のイタチのような生き物を見た。
「マングース?」と尋ねると運転手は「そうです」と短く応えてくれた。
マングースはまるで違和感なく民家の塀の内に消えていった。
その民家の後ろには山裾まで一面のサトウキビ畑である。
かくてマンちゃんは惰性の民となり、戦いを忘れた。
唯一残っていた闘士も動物保護団体の後押しでハブとマングースの闘いを売り物にした観光を禁止され、やがてハブの小さくて三角形の頭を素早くかみ砕いていた牙で硬いサトウキビの茎を苦もなく切り裂いて暮らすようになる。
バカだね人間は。

どこへ行くのかという畑道のような小径を車は進み、新海(みーばる)海底観光センターに着いた。
沖縄最後の日は快晴で、グラスボートに乗り込み海底の魚をのぞきに行った。



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このグラスボートの背後の少し左側の山の中腹に演出家の宮本亜門の白い別荘がある。(ちくしょう!)
グラスボートでの海底の景色はボクの子供の頃の田舎の海の中を思い出させた。そんなに深くないけれど、姫シャコ貝の波形の口が見えたりして結構楽しい。


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よろしければ続きです。平和記念館から帰路へ


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沖縄旅行-其の3 [雑考]

美ら海(ちゅらうみ)水族館まで


12月になってしまいました。でも、ボクの田舎もそんなに寒くない。きっと沖縄はまだ朝の気温も20度以上あるんでしょうね。
さて、沖縄旅行の続きです。
沖縄の魚は正直あまり美味しいとは思わなかった。
南方系の魚であり、料理はほとんどが唐揚げ状態。
専門店に行けば刺身なんかもあるらしいけれど、観光客向けではない普通のソーキそば屋に入ってその無茶苦茶なボリュームに腹一杯になり、夕食時になってもお腹が減らないのには閉口した。
ホテルでは北海道から空輸したカニの食べ放題バイキングをやっていて、自分が日本のどこにいるのかわからない状態でした。
でも、朝のゴーヤのみそ漬けは美味しかったなあ。
海ブドウはあまりの潔い意歯ごたえと儚い味に感動して買い込んでしまった。
観光は沖縄の主要産業であり、本土より近い中国や韓国の観光客やボクらが買い込むおみやげはかなり重要なウェイトを占める。
サトウキビ畑は南に行くと多いけれど、名物の黒砂糖の原料としては不足気味で輸入しているんだとか。
適当で自分勝手なスケジュールで動くものだから(県民性か?)地図を見て印象に残る名前が頭にあんまりのこっていない。
海洋博物館に行く途中のパーキングエリアにあった大木。

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『相思樹』(そうしじゅ)と言うんだそうな。(花と葉っぱは左下のピンぼけ)
丸く小さな黄色い花が咲いていた。葉っぱが変わっていて木の葉のくせに三日月形で表裏が同じ葉脈。で表裏一体の葉から付いた名前だそうな。

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北部(山原=やんばるの異名)
高速道路のガードレールに仕切られたようにジャングルが続く、木々が枝を横に張り、交差する木々が絡み合って隙間がなく、密度が濃い。
一年中緑。所々紅葉したように見えるのは琉球何とか松という県木が松食い虫にやられて枯れているんだとか。
先が見えないジャングル。
でも、その背後には広大なアメリカ軍の演習場が広がり、一瞬垣間見える山は砲弾の実射練習で禿げ山になっている。
間違って入って怪我をしても誰に訴えることもできない。
水不足の解消のために新しいダムを造っている場所もあった。
それがまためちゃくちゃ浅い。
山が低いのも底が浅い土地もすべて沖縄本島そのものがサンゴの堆積の上に成り立っていることを教えている。
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海洋博自然公園の中にある美ら海水族館はボクの田舎の桂浜にある水族館の数倍ものスケールで、発想もやっていることも大体同じなんだけれど、とにかくでかい。

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内部からの景色。
幸いにして晴れていて海はきれいだった。
浅い海の中に黒く見える部分は珊瑚礁であり、所々にしもり(白く泡立つところ)が見える部分があって、そこは珊瑚礁が海面に顔を出している部分だ。
見ていて気づいたこと。
海藻がない。
海の匂いがしない。
これらは関連があって、この辺の海は塩分濃度が高く、海水の温度が高い。
だから海藻が育ちにくく、海特有の潮の匂いが希薄なのだという。
それだけに沖縄の天然塩には人工的な手を入れる工程が少なく、ミネラルの固まりのような美味しい塩ができる。
鳴き声以外は全部食べるという沖縄料理の中心となる豚肉料理には欠かせない。

ようやく総合案内所を抜け水族館まで下る。(このままではすぐ隣にある蘭の花の塔には行けそうにない。スケジュールの失敗。海洋公園だけで1日採るべきだったと、この時もう後悔し始めていた。)

水族館に続く…


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沖縄旅行-其の2 [雑考]

本日は朝から晩まで宜野湾市のコンベンショナルセンターで会議に出席。
バカでかい施設に呆気にとられる。

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2足の草鞋を履いているボクの昼間の仕事については書いたことはないのですが。
イラストレーターはやくざな仕事でクライアントの多寡により収入が変化する。しかもこの円高。大変だ。(;´・д・微苦笑)
昼間のボクは全くカラーの違う社会福祉事業関係の役員兼務の仕事に就いている。

多分今日で終わりだろうけれど、沖縄は県知事選挙の終盤でここに着くまでにもいくつかの候補者の車に出会った。

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写真はこの会議の基調報告が終わった後、忙しいのに演壇に立った現知事のなかいま氏。
来る途中車の運転手に選挙のことを聴いてみた。
争点はやはり普天間基地移設の問題で、これは本土の報道と県民の意見には少し温度差があるらしい。基地の必要性と失業率日本一の沖縄県の現状、沖縄本島の中心にある基地のために全ての交通が回り道を余儀なくされる実情、ヘリやジェット機の騒音、様々な現実的問題が混然となっていて県民一人一人が生活するためにどこにウェイトを置くかによって選択の針が振れるようだ。
「単なる基地移転の問題だけだと辺野古に移設するしかないのでは」というのが一県民運転手の感想でした。
この記事をアップする明日にはおそらく選挙の結果が出ているに違いない。

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会場のデイゴの木。この木はホントにどこにでもアル。


会議の懇親会をはしょり、早めにホテルに帰り着いて(といってももう5時頃だったけれど)国際通りに徒歩で買い物に出た。

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次女に「外国人が漢字の意味を知らずに来ているような文字が書いてあるTシャツ」という何とも無茶な、でもそそられるリクエストを貰って買いに出かけた。
結果、余りたいした物がなくて「鼻息!」というのと「トマト魂」という2つに絞り、女の子なんだから後者に決めて買って帰った。(気に入って下さったようです。)
県庁側から通りを離れ、ホテルに帰る交差点のどこだかわからんデパートのような建物の前にクリスマスの飾り付けがされていて、いつの間にか夜になった空に不思議な雰囲気を醸していた。
温度は24度。
サンタはあせもに注意することが必要だろう。

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つづく。


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沖縄旅行其の1 [雑考]

23日午後着いたその日に待っていたバスに乗せられ、首里城公園へ行った。
ボクはこういう紀行文は得意ではなく、無論写真なんかも記録的な意味合いを知る程度にしか撮れない。
沖縄はボクの初めての海外旅行だった。
まだ小学生の頃、父の出張について行った思い出がある。
ドルがまだ固定相場制で1ドル=360円だった頃だ。
何しに行ったのかって、チョウチョとモスラのモデルにして世界最大の蛾、ヨナクニサンを採るつもりだったらしい。
結局ガキンちょの相手になるようなものはいなくて、木の葉チョウとヨナクニサンの標本を買って帰った。
それらはボクが小学校を卒業するときその学校に寄付した。もちろん今では残っているはずもない。
そんな子供の頃に行った記憶は儚いもので、首里城に行ったかどうか記憶すらない。
空港を出て那覇の街に降りたとき、目に付いたのはヨーロッパの田舎町のような朱色のかわらぶきの屋根と漆喰の白のコントラストと、雨が降っても地表に残らず、降雨量自体は少なく、慢性的に水不足の土地に建つ家々の屋根に必ずある貯水タンクと3種類のお墓。
沖縄には墓地にかんする法律がなくて、今でも個人の家に墓を作って構わないらしい。
むしろ昔は墓をまず作ってから家を建てたのだという。
お嫁さんを貰うときもまず墓を見たそうだ。
何て言ったか忘れたけれど、家形のお墓にはそのまま棺桶を容れ、数ヶ月を経て腐乱し、骨となりかけた死者の身体を泡盛で洗い、骨にしてから改めて骨壺にしまうという手間をかけたのだそうだ。
墓の前が不自然に広いのは先祖を祭るとき、そこで一族が死者と酒を酌み交わすために酒宴を開くためだそうだ。
今は火葬がポピュラーとなり、風習は廃れてきたらしいけれど、家の庭に墓があるのをいくつか観ることが出来た。
カメラで撮影するのは気分的に少し憚られたので撮らなかった。

首里城は守礼門から入り、
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観会門、

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瑞泉門を経て

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広福門とかいくつかの門を通り、
02.jpg(修学旅行生のキャピキャピ)

御庭に出て正殿の中に入った。

07.jpg(玉座らしい)

だけど、ボクは11月も終わりなのに丈の低いハイビスカスにひらひら舞い降りるツマキチョウの朱色と黄色の羽の羽ばたきにどきどきしていた。
もしも、捕虫網を持っていたらその場で駆けだしたかも知れない。
当たり前の風景らしいけど、図鑑でしか観られない蝶が実際に目の前にひらひらしているのを目にすると瞬間的に沸騰する。
カメラを向けると高く曇り空に舞い上がりそのまま何処かへ消えてしまった。
でも、彼とはその後良く遭遇することになる。

一通り見物し、車上の人になって、トックリキワタのアメリカハナミズキを大きくしたような街路の花を見ながら、シャッターチャンスを逃し続け、絵にした方が早かったと悔やみながら初日のホテルに着いたのでした。

続きはこのつぎに………

 

 

 

 

 

 


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抱っこひもの思い出 [雑考]


久しぶりにプレスブログの素材を見ていて書く気になった。
長男は既に大学でこの未曾有の就職難の中、自分の好きな絵画の勉強に没頭しているようだ(ホントかな?)
彼がまだ首も据わらない頃、当時父とは別の家で暮らしていたボクは妻の車から取っ手付きのカゴに乗せた長男を取りだした。
彼は安心しきってすやすやと寝息を立てていた。
ボクは車に鍵をかけようと、ポケットから鍵を取りだすためにちょっと無理な姿勢でカゴを路面に下ろそうとして取っ手の片方を外してしまった。
その結果、『ころりん!』という感じで彼を路面に転がしたことがあった。
火が付いたように泣く彼を抱え、ボクは青くなって病院へ走った。
検査の結果、幸いにしてどこにも異常はなかったけれど、以来ボクは出かける際には、それまであまり気の進まなかった抱っこひもってやつを着用するようになったのでした。
首が据わるまでは妻が首の後ろに背当てが付いたものを使っていて、一人座りができる頃生まれてから2年くらい経った頃かなあ、出かけるときは背負いタイプの抱っこひもを使った。
彼は1歳の頃から執着しているオモチャがあって、それが『ババ』(僕の母)に貰ったロボットタイプの犬のぬいぐるみだったんだけど、これが硬くて両腕でしがみつくように抱えて離さないものだから、前に抱くと人形ごと抱くことになってかさばってしょうがない。
長く歩くと疲れたものでした。(^_^;)
今、アップリカというベビー用品のメーカーのHPを眺めていて、その中4WAYタイプの抱っこ紐が目にとまった。
これだと一個で済んだんだなあ。
妻が使ったホントに抱っこする「紐」タイプから最後はバックパックタイプまで幾つ使ったろう。
ひとつひとつ後に生まれた二人の娘が使い回して、それらはまだよそのご夫婦にそれぞれの子供の成長に合わせて貰われていった。
リユースできる品物だったんだと結構妻の選んだ品物にも感心したことでした。
まあ、それはそれでいい思い出にはなるね。
デザインや使用感はもちろん最新のアップリカのようではないけれど、スリングのように肩から提げて、前に抱いて、後ろに背負う。
ひとつの抱っこ紐の位置が変わり、子供の成長が感じられるのもいいかも知れない。


プレスブログの提供でした。





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突然のサヨナラ [雑考]

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突然のことだった。
仕事中のボクに娘からメール。
「おこめが動かない。夕べはあんなに元気だったのに朝起きたら、寝てるのかと思ったのに」
まだ飼い始めてから1年も経たない。
突然死。
気になったことはあった。
買ってきたときから立ち上がるとよく後ろ向きに転倒した。
そのまま背面で動き回ったり、脳に異常があるのではないかと思うような動きだった。
最近は落ち着いていて娘二人にはなついて二人はその年齢なりに遊んで貰っていた。
おこめはパールホワイトのジャンガリアンで、「おはぎ」と「きなこ」が死んでしまった後、次女が自分で育てたいと買ってきたハムスターだったが、買ったところが以前の馴染みの店ではなく、ちょっと大きなペットショップだった。
ガラスケースに入って二匹展示されていた中で彼女が気に入ったハムスターで、外見には変わったところがなかった。
でも、やはり何処かに異常があったのだろうね。
広い箱に入れると転倒を繰り返していた。
悔しさと無念さで滅多に見られないほど目を腫らした次女に妻が「ガラスの狭いケースから、ウチに来て、少しの期間でも自由に外で走ったりできたんだから飼ってあげてよかったのよ。」といった。
中学3年生にかける言葉としてははなはだ子供っぽい言葉だったけれど、言いたいことは十分伝わったらしい。
翌日ボクは山に登り、我が家の墓地の納骨堂の隣に並んでいるボクの犬の墓とおはぎ、きなこの隣に穴を掘って彼女たちが自分で箱に入れた『おこめ』を埋葬できるようにし、木を削って墓標を作り仕事場に出かけた。
次女は二日くらい経ってようやく笑顔を見せるようになった。
『おはぎ』や『きなこ』のような看病の末の死ではない、もっと手の届かない命の何かを肌で感じているようだった。

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合掌

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